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チビチリガマで集団自決を強制された 強制集団自決 はデマというより 勘違いかな?

2023年4月19日  2023年4月19日 

 悪意を持ってデマを広げる人もいるだろうけど、、多くの方が勘違いしてます。


「チビチリガマで集団自決を強制された」
「チビチリガマで強制集団自決」 
はデマというより 勘違いかな?




読谷村観光協会
https://www.yomitan-kankou.jp/tourist/watch/1611319972/

チビチリガマ

チビ=尻  チリ=切る
チビチリガマは浅い谷の底にあり、谷川を流れる細い川はガマへ流れるが、どこへ流れ着くのか分からないという事からこの名が付きました。

アメリカ軍の沖縄本島上陸の翌日1945年(昭和20)4月2日、鬼畜(きちく)と教えられたアメリカ兵の残虐な仕打ちを恐れて、肉親相互が殺しあうという凄惨(せいさん)な地獄絵図を現出したといわれる「集団自決」が行なわれた所です。
この洞窟への避難者約140人の内、無辜(むこ)の住民83人が非業(ひごう)の最期(さいご)を遂げたということです。
後に人々は犠牲者の死を悼み、永久平和を祈念して「チビチリガマ世代を結ぶ平和の像」を建立しました。


読谷村史

読谷山村民の「集団自決」 
https://yomitan-sonsi.jp/sonsi/vol05a/chap02/sec03/cont00/docu129.htm

チビチリガマでの「集団自決」

米軍の上陸を目のあたりにしたその日、南洋(サイパン)帰りの二人が初めて「自決」を口にした。焼死や窒息死についてサイパンでの事例を挙げ着物や毛布などに火を付けようとした。
 それを見た避難民たちの間では「自決」の賛否について、両派に分かれて激しく対立し、口論が湧き起こった。
 
二人の男は怒りに狂って火を付けた。放っておけば犠牲者はもっと増えたに違いない。その時、四人の女性が反発し、火を消し止めた。四人には幼い子がおり、生命の大切さを身をもって知っていたからだ。結局、その日は大事には至らなかったが、「自決派」と「反自決派」のいさかいはその後も続いた

 前日の突撃で米軍の戦力の強さを思い知らされた避難民は一睡も出来ないまま二日を迎えた。
 前日に無血上陸を果たした米兵が再度ガマに入ってきて「デテキナサイ、コロシマセン」と降伏を呼び掛け、食べ物を置いていった。
 その間にもいくつかの悲劇は起きていた。十八歳の少女が母の手にかかり死亡したり、看護婦の知花※※らのように毒薬を注射して「自決」した人々もいた。「天皇陛下バンザイ」と叫んで死んだのは一四、五人ほどだったという。
 横たわる死体。そこへ再び入ってきた米兵…。ガマの中の混乱は極限に達していた。そんな中ひもじさの余り米兵の持ってきた食べ物を口にする者もいたが、毒が入っているから絶対食べるなと頑として応じない者もおり、避難民は生か死かの選択が迫られていた。
 煙で苦しんで死ぬより、アメリカーに撃たれて楽に死のうとガマを出た人もいた。しかし、大半はガマでの「自決」を覚悟していたようだ。
 そして毛布などについに火がつけられた。前日は止めたが、もうそれを止めることはできなかった。奥にいた人たちは死を覚悟して、「自決」していった。煙に包まれる中、「天皇陛下バンザイ」を叫んでのことだった。そこに見られたのは地獄絵図さながらの惨状だった。


という事で
集団自決はあったが、 自決派に強制されたとも言えるが、、
村民以外の誰か(日本軍)に強制されたという訳ではない。


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