数の奢りと数の焦り オール沖縄分裂が突きつけるもの
数=議席=議員数2026年1月、沖縄の政界に決定的な亀裂が走りました。衆院沖縄2区での「オール沖縄」勢力の分裂。その背景にあるのは、立憲民主党と公明党が野合した新党「中道改革連合」の、数の力を背景にした「奢り」です。
中央の論理を優先し、辺野古反対の原点を軽視する巨大勢力に対し、社民党は組織の消滅を覚悟で独自の旗を掲げました。選民意識に染まる立民と、影に隠れる公明。
この歪な構図が、沖縄の共闘体制を瓦解させようとしています。
衆院沖縄2区における分裂劇は、単なる候補者調整の失敗ではなく、巨大勢力が陥った「数の奢り」が生んだ必然の結果と言えます。
まず目を引くのは、立憲民主党と公明党が結成した「中道改革連合」の強気な姿勢です。彼らは国会内での議席数を背景に、「自分たちこそが唯一の対抗軸である」という強烈な選民意識を隠そうとしません。立憲民主党主導のこの新党は、「現実的な政権交代」を旗印に掲げる一方で、沖縄が長年守り続けてきた「辺野古新基地阻止」という至上命題を、単なるひとつの政策カードに格下げしてしまいました。
その象徴が、安住淳幹事長による(要旨)「政権を取っても辺野古工事の中止は難しい」という発言です。この言葉は、辺野古反対を信じて共闘してきた県民やオール沖縄勢力に対する決定的な背信行為です。
中央の権力奪取を優先し、地元の切実な声を「妥協可能なコスト」と見なすその態度は、まさに「数の力を得た者の奢り」そのものです。
一方で、この新党に加わった公明党の不気味な沈黙も看過できません。かつて「平和の党」を標榜した公明党は、中道改革連合という枠組みの影に隠れ、辺野古問題の矢面に立つことを巧みに避けています。国民からの批判を回避しながら議席の安定だけを享受しようとするその姿勢は、有権者にとって「顔の見えない不透明な存在」となっており、オール沖縄の理念を内側から空洞化させています。
こうした巨大勢力の変質に対し、社民党の瑞慶覧長敏氏が立候補を表明したことには、強い政治的正当性があります。
瑞慶覧氏が指摘するように、「辺野古反対」「安保法制反対」を明確に掲げる勢力が2区から消えようとしている今、社民党が独自候補を立てることは、単なる党利党略ではありません。それは、中央の論理に飲み込まれ、現実路線の名の下に「沖縄のアイデンティティ」を切り捨てようとする中道改革連合に対する、最後の一線での抗議なのです。
「辺野古」に呪縛された10年の停滞:無責任県政に終止符を
しかし、今回の分裂劇が我々に突きつけている真の問題は、さらに根深いところにあります。
長年、沖縄県政は「普天間基地の辺野古移設」という単一の論点に振り回され、県民を真っ二つに分断し続けてきました。「賛成か、反対か」という踏み絵を強いる政治の裏側で、県民生活に直結する経済振興や福祉、教育といった基地問題以外の重要政策は、常に「横に置かれたまま」の形骸化を余儀なくされています。
そして基地問題を聖域化した県政の結果が、「沖縄県ワシントン事務所問題」です。米軍基地問題の解決を掲げて設置されたはずの事務所が、実態のない株式会社として登録され、あろうことかアメリカ政府に対し虚偽の書類を提出してビザを取得していたという事実は、もはや失態の域を超えた「法治国家としての汚点」です。しかし、この明白な違法行為に対し、玉城デニー知事をはじめとする県政幹部の誰一人として、真摯に責任を認め、けじめをつけた者は存在しません。
「オール沖縄」という空虚で自己満足な自称平和主義者の団体の下で行われてきたのは、理念の追求ではなく、責任の所在を曖昧にする「無責任政治」の再生産でした。基地問題という「聖域」を盾にすれば、内政の不手際も法的な瑕疵も許される――そんな甘えが、今の沖縄県政には蔓延しています。
今回の沖縄2区の分裂は、皮肉にもこの強固な「集団的無責任体制」が内側から崩壊し始めた合図でもあります。いつまでも基地問題だけを政争の具にし、県政を停滞させる時代はもう終わりにしなければなりません。
「オール沖縄」という看板に支配され、思考停止に陥った沖縄政治を終わらせ、真に県民の未来を見据えた新しい政治の幕開けを、今こそ我々は選ぶべきではないでしょうか。