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2024/05/19

サンアイイソバと与那国島のWikipediaから人頭税と久部良バリについて考えてみる!

Wikipediaの関連項目を読み比べると面白い?

サンアイイソバ と 与那国島 から引用します

まずはざっくり
与那国島とは?
八重山列島の西端、台湾の北東に位置する。行政区分としては、一島で沖縄県八重山郡与那国町を成す。
面積28.95 km2で、小笠原諸島の硫黄島や父島より若干大きい程度である。
人口1,694人(2023年11月30日時点)


サンアイイソバとは?
サンアイ イソバ(生没年不詳)は、15世紀末から16世紀に実在したとされる与那国島の女性酋長。統治者として島の政治と開拓に従事し、近代的な発展に貢献した。



上記項目のWikipediaを読んでの疑問

では

人頭税と久部良バリ について


与那国島wiki
琉球王府は1609年の薩摩藩の琉球侵攻によりその支配下に入り、1611年(慶長16年)には薩摩藩役人毛利内膳正元親が来島し与那国島の測量を行い、初めて検地帳を作製した。
薩摩藩支配下の琉球王府からは人口に応じて課税される苛烈な人頭税が課され、妊婦に岩の割れ目を跳ばせて口減らしをしたという「久部良バリ」(くぶらバリ)の伝承等が今日まで語り伝えられている。

サンアイイソバwiki
1400年末の与那国島では当時、イソバの兄弟3人のほか新川・ダンノ・手原などの酋長連が割拠しており争いが絶えず、3万超の島民による食糧難を脱する方法として「人升田(とんぐだ)」や「久部良割(クブラバリー)」といった血祭りによる残忍な人口制限が行われており、この祭りの最中にイソバは自らを天の使いと称し主催していた酋長らを処分し、血祭り終了の宣言と政治的統治を名乗り出る。

Wikipediaの与那国のページでは 久部良バリは薩摩侵攻後に人頭税に絡んで行われた人減らし策と読めるが、サンアイイソバのページでは 1400年末頃には残忍な人口制限が行われていたことになる そして サンアイイソバが中止させた事になっている。

どちらが正しいのだろうか?
サンアイイソバが中止させた後に1611年以降に復活したということだろうか?


画像引用元 https://resort.mumbu.net/yoaguni-kubura-bari/

現地の説明看板?では”人頭税による”とあるようだ



久部良割(クブラバリー)又は 久部良バリ と言われる伝承の真偽


自然科学紀行古水史跡編~ 沖縄水史観 (XIII) 山口晴幸
https://agriknowledge.affrc.go.jp/RN/2030770167.pdf

クブラパリの妊婦減らしにまつわる逸話は伝説なので、その真偽のほどは定か ではないが,

沖縄の大嘘【与那国島の口減らし「久部良割(くぶらわり)と人桝田(とぅんぐだ)」は、後世の作り話】

動画の概要
〇久部良割では人骨が見つかっていません
〇人数・名前の年齢も記録には残っていません
犠牲者を弔うための祠や墓が見当たらない
〇復帰前に久部良割と人桝田の信ぴょう性を疑う意見多数有り

他の文献を調べてみる


南方文化の探究 著者 河村只雄  創元社 昭14
”産児制限のため妊婦にとばしたといふ” p355


南島覚書 (南方叢刊) :著者 須藤利一 東都書籍 昭和19
要約「イソバが人升田および久部良割の惨事を止めたり餘剩人口の爲に新田を開墾した
p39


ふむ、、よくわからないですね
人升田や久部良割について 歴史的文書や資料に基づいて言及しているモノが無い
全て 逸話 伝承の類で正史としては微妙である
(私が探せないだけかも?)
『トゥング・ダ (人桝田) クブラ・バリ (久部良割) 伝説考』
増尾由太郎 
与那国・郷土の歴史を見直す会 

という面白そうな本があるらしいので 手に入り次第追記予定