小熊英二「<日本人>の境界」第12章 沖縄ナショナリズムの創造―伊波晋猷と沖縄学 素人おっさんの感想 (1)
とある出会いがきっかけで、 小熊英二 著「〈日本人〉の境界」を読んでます。
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章を読み進めていき関連する内容があれば 随時追記します。
すべて読了後 まとめて感想を書きます。
明治の日本は、日本国民画一化(標準化・平準化)を目指していた。同じ国民でありながら地域によって差異が生まれないようにする平等化とも言える。
沖縄県民の日本人化とは、他県民なみの教育レベルや生活レベルへの向上を目標として日本国民画一化の一環であったと考えます。
小熊のいう「日本人化」は「植民地化」「皇民化」を示しているのかもしれないその点は別記事にします
とりあえず 本blog記事中で「日本人化」という表記をするが、その意味は読み手の貴方の判断にまかせます
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第1章 琉球処分―「日本人」への編入。
第2章 沖縄教育と「日本人」化―同化教育の論理
を読み終えました
琉球処分に賛成・容認する一派については一切触れない事。琉球処分反対が琉球の総意であるような流れ(守るべき平民や百姓の感情は無視)
第2章 沖縄教育と「日本人」化
日本化・文明化を受け入れる百姓や平民らを、日本に騙された哀れな人々、、ととれるような書きぶり、、
実は、沖縄県民の事は二の次ではないのか?
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読み進めて関連性がかなり強いと思われる章は追加する場合があります。
第12章 沖縄ナショナリズムの創造―伊波晋猷と沖縄学 当記事
沖縄にとっての同化/二重のマイノリティ/防壁としての同祖論/沖縄ナショナリズムと同祖/排除と同かの連鎖/啓蒙知識人として/挫折した沖縄ナショナリズム
第15章 オリエンタリズムの屈折―柳宗悦と沖縄言語論争
第18章 境界上の島々―「外国」になった沖縄
第19章 独立論から復帰論へ―敗戦直後の沖縄帰属論争
第23章 反復帰―一九七二年復帰と反復帰論
私は、文章力が無いので、小熊英二 著「〈日本人〉の境界」を確認しながら進めるとわかりやすいと思います。
第12章 沖縄ナショナリズムの創造―伊波晋猷と沖縄学
サンシー事件とは
サンシー事件(サンシーじけん)は、1879年(明治12年)4月の沖縄県で起きた、県役人殺害事件である。事件の名称は、被害者が琉球処分後の新体制に賛成(サンシー)した者であることから。
事件発生を受けて明治政府が、琉球処分後の旧琉球王国支配階級を懐柔するため、旧慣温存政策をとらざるを得なくなった原因の一つとも言われている。引用:wiki
この対応に関して我部正男(元琉球大学法文学部教授)は尚泰が転身変身したとしている。
東京に幽閉の身である尚泰は 、一八七九年(明治一二) 一〇月八日 、沖縄の富川親方にあてて書簡を送っている 。(略)
この書簡は、非協力・不服従運動の最中枢に位する旧琉球藩王尚泰の獄中からの敗北宣言にも似たメッセージで、 その転身 ・変身ぶりは実にあざやかというほかない
尚泰の挫折と変心は、 まさに統合における新しい支 配・ 服従関係の成立を告げるものであり 、 王府への服従を解除し 、旧藩王のカリスマ的権威を利用して、明治国家すなわち、統一権力への服従の転換を指導及び誘導するものであ った引用:https://www.jstage.jst.go.jp/article/nenpouseijigaku1953/35/0/35_0_79/_pdf/-char/ja
日清戦争の10年前です。
これは、士族らに大きなインパクトを与えた。
琉球王国復興又は救国運動に身を投じていた脱清派にとって、その忠誠を尽くしていた琉球国王の尚泰が、琉球救国運動をする士族らを批判したのです、それは大事件ですよね?
県民からも批判された。
これは尚泰の意思の率直な表明ととるよりも、 政府の意図で操作されている尚泰の姿と見る のが妥当ではなかろうか
尚 順:尚泰の四男
高嶺 朝教:按司地頭(琉球の大名格)の家系
護得久 朝維:尚泰の長女・真鶴金の夫となる
太田朝敷:士族の家系 (系譜などよくわからない 笑)
バリバリ士族の経営陣を持つ琉球新報社で日本への同化論が語られている。
これは親清派も琉球を愛国する部分では賛同できるだろうから 合同で戦う意味で大きい
(旧藩主は華族であり 知事は役人)
であるとしています。
(”一から十まで他府県に似せる事であります”としつつ旧藩主を知事にする 他県にはないシステムを何故つくる?)
失敗した主因は、「公同会運動は時代錯誤」「自治より制度改革を優先すべし」の県民の声。
公同会事件の失敗と前年の日清戦争をうけ小熊は、日本への忠誠心ではなく 沖縄県民の地位向上と平等化へ策としての同化に進むとしていますが、どうなんでしょうか?。
もしそうであれば 日本化(同化)は県民の思いであり 強制されたものとは言いずらくなりませんか?
太田朝敷の抗議は、沖縄は民族的に日本人であるから他の民族と一緒にするな!
である。
見世物的な事に怒っていたのではない!
現在 沖縄メディアが人類館事件を扱う場合 太田の「沖縄は日本人である」「他民族と同列に扱うことへの抗議」の部分はスルーして、
「県民への非人道的な扱いは差別である」として怒ったことになっている。
朝貢([貿易]=鎖国下における密輸入の為)に偽装工作をし、日本的文化を隠蔽し中国的な文化を前面に出す。
よくわからない曖昧な人民にしていたのは 薩摩であり共謀した琉球です、伊波は 薩摩と琉球士族を批判していると考えますが、
その時 首里の生徒たちは伊波を「余所者」と冷やかしていた。
沖縄県民の私は
当時
本島と離島の対立 沖縄と奄美の対立
旧士族と百姓の対立 親清派と親日派の対立
旧慣温存政策廃止派と持続派の対立
など沖縄には沢山の対立があると思っている。
二重どころか何重のマイノリティがあると思っている
しかし それでも 伊波をマノリティとするのは違うだろう?と思う
それはあくまでも首里目線であるだけだ、首里士族も那覇に行けばマイノリティである。
誰でもマイノリティになれるのである。
だが 琉球士族が琉球国民に対して行った悪政や差別に比べれば 日本の沖縄差別とされるような事は それに比べたら 容認できるレベルでるあるという事を忘れてては行けない
東南アジアでは、(略)中国へ朝貢していた東アジアの国々が欧米列強の植民地となっていきます。
そのような欧米列強の東アジア進攻によって近世期の中国を中心とする冊封・朝貢体制が崩れていく時代背景が、琉球処分の過程と重なっているわけです。
第5回 定例研究会 第2部 明治沖縄の自律構想と運動 沖縄大学助教授 屋嘉比収https://plaza.rakuten.co.jp/jichiken/8021/
続編を後日書きます。