何故リベラルな若者は「自称リベラル政党」を嫌うのか?
――日本復活の鍵としての「愛国心」
現代の若者は「リベラル」な価値観を持ちながら、なぜ「リベラル」を標榜する左派政党を忌避するのか。そこには世代間の価値観の乖離と、既存左派が抱える深刻な矛盾があります。本記事では、若者の「相互不干渉志向」と、日本再建のキーワードとなる「愛国心」について考えてみたい。
自由を守るために本当に必要なものは何か?
若者の「消極的自由」と「自称リベラル」の乖離
平成以降に育った世代は、「ナンバーワンにならなくていい」「みんな違ってみんな良い」と教えられ、価値観の衝突を避ける「相互不干渉志向」を強く持っています。
彼らにとってのリベラル(自由)とは、他人に干渉せず、自分も干渉されないという「消極的な自由」です。
一方、リベラルを自称する既存の左派政党の支持者らは、自らを「正義」に置き、異論を啓蒙・糾弾しようとします。この「正義中毒」的な姿勢は、不干渉を求める若者には、価値観を押し付けてくるパワハラ上司や迷惑な親戚と同じ存在に映ります。
個人の自由を尊ぶはずのリベラルが、実際には誰よりも他人に干渉してくるという矛盾が、若者の離反を招いているのです。
この点においては 保守政党支持者の方が寛容である。
「現状否定」をリスクと捉えるリアリズム
また、現代日本には昭和期のような「分かりやすい弱者」は激減しており、社会システムは一定の完成を見ています。多くの若者にとって、左派が掲げる「現状否定」や過激な制度改革は、安定した生活を脅かすリスクでしかありません。
「大きく変える必要はない」という彼らのリアリズムは、既存の社会システムを維持しながら漸進的な改善を図ろうとする、自民党を含めた保守的な政党への支持へと自然に流れていきます。
(ただし、一部の若者は既存の政党に対して経年劣化による機能不全を感じている)
左派リベラルの構造的矛盾と「愛国心」
現代の左派は、格差是正を叫びながら、その土台となるナショナリズムを否定するという致命的な矛盾を抱えています。本来、社会の平等と個人の自由はトレードオフの関係にあります。再分配や社会保障を成立させるには、愛国心や郷土愛、あるいは同胞意識といった「共に生きる仲間」への帰属意識が欠かせません。これらを旧弊として否定しながら、他者への負担を伴う平等だけを求める姿勢は、論理的に破綻しているのです。
都市化は「自分一人で生きている」という錯覚を生み、公共や協調を煩わしいものに変えました。しかし、日本が進むべき道は、欧米型の極端な個人主義を後追いすることではありません。
日本復活へのキーワード:愛国心(或いは社会への帰属意識)の再定義
ここで重要になるのが、左派によって否定され続けてきた「愛国心」(或いは社会への帰属意識)の再評価です。
愛国心とは排外主義でも軍国主義でもありません。自分が生きている社会を大切に思い、その維持と発展のために一定の責任を引き受けようとする、極めて健全な「当事者意識」です。
防衛、治安、インフラ、福祉――これらすべての「公共」は、国民一人ひとりの負担と奉仕の積み重ねによって成り立ちます。公共が弱体化すれば、最終的に個人の自由も失われます。自由を守るために社会にある程度奉仕することを可能にする精神的基盤こそが、愛国心なのです。
愛国心を否定し、「権利」だけを要求する社会は、いずれ制度疲労を起こし、最も弱い人々から切り捨てられていくでしょう。公共精神と愛国心を正面から肯定し、自由と責任の均衡を取り戻すこと。それこそが、社会を持続させ、結果として個人が安心して自由に生きられる日本を再建する唯一の道なのです。
