素人のおっさんが 小熊英二「<日本人>の境界」を読んでみた。概要と 第1章琉球処分編の感想
とある出会いがきっかけで
小熊英二 著「〈日本人〉の境界」を読んでます。
版年月日は1998年7月10日読み進めて関連性がかなり強いと思われる章は追加する場合があります
第1章 琉球処分―「日本人」への編入
「国内に人類」への統合と排除/外国人顧問の提言/「日本人」としての琉球人/歴史をめぐる争い
旧慣維持と忠誠心育成/「文明化」と「日本化」/歴史観の改造
第12章 沖縄ナショナリズムの創造―伊波晋猷と沖縄学
沖縄にとっての同化/二重のマイノリティ/防壁としての同祖論/沖縄ナショナリズムと同祖/排除と同かの連鎖/啓蒙知識人として/挫折した沖縄ナショナリズム
第15章 オリエンタリズムの屈折―柳宗悦と沖縄言語論争
オリエンタリズムとしての「民芸」/沖縄側の猛反発/「西洋人」としての方言擁護/「日本人」の強調/沖縄同化の最終段階
第18章 境界上の島々―「外国」になった沖縄
「少数民族」としての沖縄人/「琉球総督府」の誕生/「アメリカ人」からの排除/「日本人」であって「日本人」でない存在
沖縄独立論とアメリカ観/保守系運動としての復帰/帰属論議の急浮上/揺らぎの中の帰属論
人権の代名詞としての「日本人」/親米反共を掲げた復帰運動/日本ナショナリズムの言葉
「アジアの植民地」としての日本/「健全なナショナリズムの臨界」/単一民族史観の台頭/「植民地支配」から「民族統一」へ/民族統一としての琉球処分/非難用語となった「琉球独立論」
復興活動としての復帰/方言札の復活/「日の丸」「君が代」の奨励/憧れと拒絶の同居/「祖国は日本か」/政治変動と転換と
第23章 反復帰―一九七二年復帰と反復帰論
琉球独立論の系譜/復帰の現実化/「仮面」への嫌悪/独立論との距離/「否」の思想
感想を書く前に
「〇〇はこう言っている」=「〇〇はこう考えていた」 なんだろうから
もしくは 大きな流れの中で一つの発言の正誤は些細な事なのかもしれない?
まぁ
章単位で感想を書くと 各章の繋がりや全体の流れを無視してしまう事があります
章を読み進めていき関連する内容があれば 随時追記します。
読了後 まとめて感想を書きます。
第1章 琉球処分―「日本人」への編入
”琉球王国というこの国は、七年後に沖縄県と改名され...”
いきなりの「琉球王国」の表記
些細な事かも知れないが気になるところです。
多くの沖縄県民は即座に「おもろそうし」を思い浮かべるだろう
『おもろさうし』は、琉球国尚清王(第二尚氏第4代)時代の嘉靖10年(1531年)から尚豊王代の天啓3年(1623年)にかけて首里王府によって編纂された歌集。歌を意味する「おもろ」は「思い」と同源の語で、そのルーツは祭祀における祝詞だったと考えられており、「そうし」を漢字表記すれば「草紙」となる。全22巻。形態主にひらがなで書かれ、わずかだが漢字も混じる。短いものは2行から、長いものは40行に及ぶ韻文で、盛んに対句を用いており、これら祝詞(うむい)は琉歌の源流と考えられている。また、今では使われていない琉球古語が多く含まれている。引用wiki より一部抜粋
古琉球時代につくられた橋の欄干(石碑)にも表裏で「漢文」と「ひらがな」が使われています。
p25