当blogでは 沖縄に関するデマや誤解、思い込みを正して欲しくていくつか記事を書いてます。管理人の個人的な感想レベルの記事ですが、気になったら少しだけでも読んでください!
当blog 沖縄に関する記事
言語罰札制度について ─沖縄の「方言札」を中心に
を参考に方言札に関するデマと真実を考える!
井谷泰彦氏の論文「言語罰札制度について ─沖縄の「方言札」を中心に」を参考に、管理人が沖縄の「方言札」に関するデマと事実を考察した記事。
方言札の非公式な性質: 方言札は条例や通達で定められたものではなく、教師の独断で行われており、学校や地域によって使用方法が異なっていた。
歴史的背景:
明治~時代(1903年~1936年): 県民の学習意欲から出現したが、教育は徹底されていなかった。
~戦前(1937年~1945年): 国民総動員運動の一環として大規模な運動となり、公式文書にも記録が残された。
戦後(1945年以降): 沖教職に教師らによる運動(個々の教員の判断)。
方言札の起源: 沖縄に古くから存在する「南島村内法」という地域の掟に根ざしており、罰札を持った者が次の違反者が出るまで罰を続けるというシステムは、村内法の「罰札制度」と共通している。
方言衰退の理由: 記事の著者は、方言の衰退は沖縄教職員組合による強力な標準語教育の反作用であり、県民の総意でもあった(メディアの関りも)。
私たち琉球人は植民地化で言語継承が許されず琉球の伝統文化を根幹に持つことが困難な状況に立たされています。ユネスコは琉球諸語を危機言語レッドブックに記載し、人権理事会や人種差別撤廃委員会も日本政府に琉球の言語権を認め学べるような手立てをと働きかけています。私たちにも母語デーを。
方言衰退の原因: 沖縄方言の衰退は、日本政府による強制ではなく、当時の沖縄の人々自身の選択と教育運動にあった。
「日本復帰」の副作用: 方言の衰退は、当時の県民が目標とした「日本復帰」の副作用でった。
教職員の主導: 戦後の沖縄では、米軍の提案にもかかわらず、教職員を中心に日本語教育が選択されました。また、「標準語励行運動」や「方言札」の使用は、屋良朝苗氏が率いる沖縄教職員会(沖教職)が主導した事実。
責任転嫁の批判: 沖縄県民自身が言語の抑圧に積極的に関わったにもかかわらず、その責任を他者(日本国)に押し付ける一部の人々(左派、琉球独立派、自称リベラル)を批判。
