ハジチ(針突)について沖縄県民のおっさんが考えてみる ハジチ・ハズキ
昭和生まれ沖縄のおっさんです。
成人する頃まで、ハジチ(針突)をしている人を見たことが無かった、当然、親戚には誰もいなかった。刺青と違い 常に露出している手なので見落とす事は無かっただろう。
昭和から平成に移るころ、ハジチをしているのは 高齢の方だけで、現在ご存命なら軽く120歳を超えているかもしれない方々である。
ハジチ(針突)に関する記事について疑問を持った
そこには このように書かれている
[1]
1899年にイレズミ禁止を含む違警罪の全法令が施行された。今年は「ハジチ禁止令」から120年の節目でもある。の部分と
「内地並みの法律をすぐに適用すると混乱が起こるからと、延び延びになっていましたが、この年にようやく施行された。実質的な同化政策ですね」
[2]
山本さんが注目するのが、「ヤマトンチュ」(内地人)や「アメリカー」(米国人)など、外部の男に「連れていかれる」「妻にされる」という理由でハジチを入れた女性たちの存在だ。
という部分が特に気になったからです。
[1]の同化政策については後ほど書くとして、、
まずは
[2]の部分から、素人なりに考えてみたいと思っています。
「アメリカー」(米国人)など(略)「連れていかれる」ご存じのように アメリカーが沖縄に常駐したのは 昭和20年沖縄戦争終結後である、
専門の施術師は次々に廃業。子どもが友人同士で指にごく小さなハジチを突き合う「ハジチアソビ」と呼ばれる風習が、かろうじて昭和初期まで命脈を保っていたと言われる。とある、一つの記事に矛盾する記載がある。
昭和初期に廃れた風習が昭和20年以降復活したというのだろうか?
一時復活して再度衰退したのであれば、米国統治下の琉球政府で入れ墨禁止の法はないので、衰退した理由はなんなんだろう?(単なる反米思想でつい口が滑ったのかも?)
これに気が付かない
ハジチ(針突)衰退の理由
ハジチ(針突)衰退の主因は 入れ墨禁止令
記事に
それ以前から野蛮な習俗としてハジチを忌む風潮は広がりつつあり、なかには教師に迫られ塩酸でハジチを焼いた女生徒もいた。
さらに禁止令が決定打となり、タブー意識は抜きがたいものになっていく。ハジチを理由に結婚が破談になったり、移住先の国の日本人社会で非難の対象となり、送還されたりした人もいたという。
「人間としてあるのが当たり前だったハジチが、恥ずかしいもの、隠さなければいけないもの、遅れた社会の遺物のようになってしまった。外的な圧力もあったし、沖縄の人たち自身が内側から『風俗改良運動』を推進し、変えていこうとした面もありました」
移住先の国の日本人社会で非難の対象となり、送還されたりした人もいたという。
ハジチを非難したのは沖縄県人である
当地の県人会が彼女をハジチを理由に追い返した(要約)
ハジチ(針突)の衰退は同化政策のせい
・教育を受けられるのは士族や数少ない豪商の子弟のみ
・士族であろうと女子に教育せず
・農民は土地の所有を認めず(地割制)。移動も制限される
沖縄を対象にした人文・社会科学分野の史的研究で業績を挙げた研究者に贈る「東恩納寛惇賞」というものがある。
「琉球処分は奴隷解放」を 皆さんはどう思うのだろうか?
同化 と皇民化とは何か?
士族は 特権的地位や名誉を失ったのだろうが、大多数の琉球・沖縄の農民や庶民にとっては、 伊波普猷氏の言う開放であった。
国の為に、選挙し議会を開き多数決で法を定めた。
当時の 官僚は「欧米では~」のゴリゴリの出羽守
欧米を学び改善すれば、、
日本は良い国になると思った 政治家や官僚は、今でいう グローバリスト又は出羽守であると言える
しかし、仮に地域特性を生かした行政を行ったにしても、
そう考えても何の矛盾もない。
適当に聞き流してください。